知的障害児と楽しく暮らす!メンヘラママのバタバタ日誌

知的有り自閉症スペクトラム障がい児を育てています。

「まさか私が障害児の親に⁈」障害が分かったきっかけ 

こんにちは!メンヘラママです。

沢山あるブログの中からたどり着いて読んでいただき本当にありがとうございます。

知的障害のある自閉症スペクトラム障害児を育てています。

タイトルにも書いた通り

「うちの子、障害があるの?…障害児の親になるの?」

本当に信じられなかったです。障害がある世界は、24時間テレビの世界、サライの世界だと思っていました。あくまでも寄付する立場です。それが寄付される側になろうとは…

分かった当初はそれはそれは落ち込み毎日泣きまくり引きこもりました。心療内科にもお世話になりました。周りの同じくらいの年の子を見ては「なんでうちの子が」と思い公園にも行けなくなりました。

そもそも障害が分かったきっかけですが、本当にたまたまでした。

保健センターに行く機会があり、抱っこをした下の子を見て保健士さんに「この子気になるね」と言われました。保健士さんがあやす仕草をしてくれているにも関わらず、気にする様子もなく周りを目だけでキョロキョロしていました。2歳になったばかりだったと思います。それから市で先生に一度診ていただき紹介状を書いてもらい大きな病院で検査をし、知的障害ありの自閉症スペクトラム障害の診断がおりました。約1年程かかったと思います。

母乳がほとんど出なかったのでほぼ完ミの状態でしたがミルクの飲みは良く、運動面では異常なスピードで成長をし9か月には歩いていました。良く笑う子で、単語も4つ程出ていて1歳半検診では問題ないと言われました。ただ指差しをしていませんでした。保健士さんからも「指差しがないのは気になる」と言われましたが、まだ1歳半だし様子を見ようという事でした。後から指差しの大切さを先生方に聞くことになるのですが、「ママ見てー!」という雰囲気が全くありませんでした。音楽に合わせて体を動かしたり、バイバイなどもまだ出来ていなかったと思います。

指差しは後に共感性がある指差しに変わるのは子育てをして来られた方ならよく分かると思うのですが、その共感性がとても大事なようです。自分の気持ちを分かって欲しいという欲求が出て来ずいつも私の手を引っ張り自分のやりたいことを促すような事ばかりでした。調べるとクレーン現象という行為でした。気づけなかった事に更に落ち込みました。

言葉に関しても私たち親は「パパ」「ママ」と言っているように聞こえても、上の子に比べてなんだかおぼろげな発音だったように思います。その後は逆に全く話さなくなり

4歳くらいになってから言葉が少しずつ増えていきました。今でもまだまだですがコミュニケーションが取れるようになり、とても可愛いです。癇癪も昔に比べて減ってきたように思います。

その当時半信半疑だった下の子の障害に、痛烈に「うちの子障害がある‼」と感じる出来事がありました。2歳半頃に久しぶりに友人の子供と出かけた時に、同年代の友達の子を見て「うちの子が幼すぎる」と感じました。そして「自分の世界で生きてる」とも思いました。周りの事に興味がなく自分の世界で生きているように見えました。ずっと引きこもり周りとの関わりを絶っていたため私自身全く気付けていなかったのです。今は療育施設に通いお友達との関わりを持つようになりましたが、その時、大勢の人がいる中で周りを気にすることもなく1人で上を向きながらクルクル回っている姿が目に焼き付いています。本当にショックでした。

障害が分かった時、自分が障害児の親になる事を恥ずかしいと思っていました。正直今でもその気持ちが全くないかと言われると、かなりあります。家の窓は極力開けませんし、明らかに体が大きいのに幼い言葉を話す姿を見られたくないなとう気持ちもあります。本当に親として情けないです。でもこのブログをやりながら自分の考えを整理して成長していけたらいいなと思っています。

本人は今は毎日療育施設に元気に通っています!少しずつですが、手遊び付きで歌を歌ったり、上の子と喧嘩をしながらもキャッキャッと遊んだり。こだわりがとても強くなってきましたが、こんなに意思疎通が取れるようになるとは思いませんでした。私自身もこんなに前向きになれる日が来るなんて信じられませんでした。もちろん日々落ち込むこともありますが、2人の可愛い笑顔と主人の優しさに支えてもらい頑張っています。当時漁るように障害児の育児ブログを読み元気を貰いました。同じ境遇の人が大勢いることに勇気づけられました!私も日々障害との付き合い方を模索しています。こんなメンヘラなママですがバタバタした日常を書いていきたいと思います。どうぞ宜しくお願い致します!